滋賀県米原市 青岸寺


彦根大雲寺三世要津守三和尚がたまたま当地を遊行していた折に、朽ちた小堂に祀られた観音像を拝し、ひどく心を痛めまし た。そして慶安3年(1650年)、再興を期して当山に入るも、時に敦賀の在人、伊藤五郎助が師の願行に打たれて尽力を惜しまなかったので殿堂、伽藍はす ぐに建立しました。しかし、五郎助は程なく明暦2年(1656年)に卒したので、守三和尚はこれを悼み、氏の功績を永く伝えたとして諡(おくりな)である 青岸宗天を以って寺名を青岸寺としました。
永正の初めに米泉寺が焼失して以来、150年余りの星霜を経て、再びこの地に復興された寺は、その後、大雲寺末として曹洞宗に属し、また井伊家三代直澄候からも寺領及び援助を賜ったので寺運は隆昌しました。
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