導入事例
寺社・仏閣

滋賀県甲賀市 大池寺

2017.03.01

大池寺は、今から約1250年前、天平年間(729~784)諸国行脚の高僧、行基菩薩(668~749)がこの地(現在の滋賀県甲賀市水口町名坂)を訪れた際、日照りに悩む農民のため、灌漑用水として、「心」という字の形に4つの池を掘り、その中央に寺を建立し、一彫りごとに三拝したという「一刀三礼の釈迦丈六坐像」を安置したと伝承されている。当時の文献は、何一つ、残されてはいないが『甲賀郡志』『水口町志』によると、寺の名を「邯鄲山青蓮寺」といい、山内寺院は八ヶ寺を数え、七堂伽藍の備わった、天台宗の寺であったという。
 その後、鎌倉期に禅宗が日本に伝わり、東福寺開山聖一国師の孫弟子である、無才智翁禅師が、この地を訪れて青蓮寺を禅宗に替えた。約750年前のことである。室町時代を経て安土桃山時代に入り、天正5年(1577)に戦国の兵火に遭い、境内全域が焼き払われ、七堂伽藍はことごとく焼失してしまった。しかし、不思議にも行基菩薩の作なる仏像のみ焼け残り、その後約90年間、草庵に、安置されていたとはいうものの、風雨にさらされた状態であった。寛文7年(1667)京都花園妙心寺の丈巌慈航禅師が当地を訪れた際、草庵の仏像を見て、寺の再興のため住山の決意をしたという。又この時、山号寺名を「邯鄲山青蓮寺」から、周囲に大きな池があるのに因み「龍護山大池寺」と改名したのである。
 以後大池寺の再興に尽力し、寛文10年(1670)に仏殿、庫裡が完成した。その時に多額の浄財を寄進したのが、後水尾天皇、伊達宗房や織田主水正信である。中でも織田主水正信は、当地の地頭で、織田信長の甥にあたり、大池寺再建のため多くの寄進をし、大池寺の開基となった。現在も、開山堂横に墓石が祭られている。大池寺の寺紋は、この様ないきさつより、織田家の家紋である「織田モッコウ」となっている。

 大池寺内には、本堂・庫裡・茶室・隠寮・書院・鐘楼・土蔵・弁天堂などがあるが、中でも本堂は、大池寺再興以来、当時のままを保ち、それは禅宗建築における仏殿様式で床は瓦敷きとなっている。昭和60年(1985)に、本堂屋根の修復工事を行った際、瓦より建立寺の年代を示す刻印が発見できた。又、屋根板には当時の寄進者の祈願が記されていた。この工事で、本堂西側に隣接し開山堂を増築したのが唯一の変化である。
 又、庫裡においては昭和25年(1950)に、大改築、修理を行った。龍巌月泉和尚が、昭和12年(1937)に住山するまでに、住職不在の期間があり、また庫裡も建築以来、それまでは手が加えられておらず、当時の建造物は葦葺きの大屋根で建物の崩壊は、はなはだしく、いたるところに雨漏りや壁落ちのある惨憺たる建物だった。書院前庭の江戸初期、小掘遠州作と称される枯山水庭園はじめ、境内いたるところに風情ある庭があり、四季を通じ自然の移り変わりを楽しむことができる。

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